TEAM HISTORY
史実
1998 10 盛家・美奈子・敦子・昌信・裕子・タム・晶子・内田ら
他10名程参加による「お遊びテニス」からスタートする。
1999 その後、二ヶ月に1度ほどのペースで集まるが、離合集散を繰り返した後、以上の8名が
中心となりチームの母体を形作る。しかし依然「お遊びテニス」の領域にとどまる。
12 忘年会で、盛家が、本格的なチーム結成を提案。
2000 1 チーム名を「日の出倶楽部」とすることに仮決定。しかし、紛糾の末、「ニンニン・テニスクラブ」
という名称に正式決定。
2 2月2日 正式に発足。翌週より当会オリジナル大会(Nリーグ)が開催。
3 チームの会報「.com」が創刊。
4 初の合宿を山中湖で開催。ところが、雪に見舞われ厳寒トレーニングとなった。
拠点を日の出町に移し、ここから毎週日曜は完全に庭球日となる。
5 内田の紹介から、折井が正式入団。
6 TDLに遠足へ。
8 第1回Nリーグが閉幕。美奈子が、妊娠8ヶ月にして優勝を飾る。
9 チーム初の草トー(アート杯)へ出場するが、全敗を記録。ただし盛家だけは、スピードガ
ン・サーブコンテストで167kmを計測し優勝を飾る。
第2回Nリーグが開催されるが、参加者は僅か6名のみとなってしまった。
関口家に待望の男の子(順矢)が誕生。
10 伊豆高原へ合宿。
白田(律子・祐子)姉妹が正式入団。
11 地元他団体との交流戦に明け暮れる。
12 草トー(国立)でチーム悲願の初勝利を飾る。
第2回Nリーグが閉幕し、晶子が優勝。
2001 2 草トー(国立)でも、そこそこ勝利を挙げるようになってきた。
草津へスキー合宿。
3 チームの看板を掲げ、初の他団体との対抗戦をするが、屈辱の全敗を記録。
4 この頃より、朝霞グループとの交流を開始する。
5 しかし、メンバーの多くが、この頃より私生活多忙となり一転存亡の危機を迎える。
6 危機感を感じた残留組が、ネットで新規メンバーを募集。
7 山宮が、正式加入。
8 地元メンバーが脱落していく中で、ついに日の出町のコートからも撤退。
そして、ついにテニス難民へとなる…。
しかし、各自、市民大会などに参加し、細々とチームの命脈は保つ。
9 タムと晶子、蓼科で結婚式。
10 拠点を福生へと移し、徐々にメンバーの復帰が叶い始める。
12 忘年会を故郷、日の出町で開催し、再びメンバー間の結束を取り戻す。
2002 1 しばらく休止していたNリーグも再開。
2 大林夫妻が正式入団。
5 神谷夫妻が正式入団。
6 第3回Nリーグが閉幕し、美奈子が2度目の優勝を果たす。
7 第2回伊豆合宿。
8 第4回Nリーグが開幕。
11 多摩川でBBQ開催。
チームのメルマガ(ぷちこむ)が配信開始。
12 第4回Nリーグが閉幕し、白祐が優勝。
2003 1 チーム名を「ニンニン・テニスチーム」へと改称。
2 当HPが完成。
3 BLUE WINDとの交流戦。
4 チーム公認ステッカー配布。
6 Tennismansとの交流戦。
第5回Nリーグが閉幕し、真弓が優勝。
7 江田夫妻が正式入団。
9 秩父合宿&
秩父リゾート杯4組出場。コンソレ優勝1組、準優勝2組
第一回チーム内ミックスダブルス杯開催/橋川・敦子ペア優勝
11 ラケッターズと交流戦。
12 折井と律子が、電撃入籍。
第6回Nリーグが閉幕し、律子が優勝。
2004 2 地元チーム(LOVE,OZ,WITH)と4チーム親睦競技会開催
3 柴田ガンが正式入団。
4 ユキ&トモが正式入団。
5 富士山麓へ遠足。
6 折井と律子、新宿で結婚式。
浜田山テニスクラブと交流戦。
第7回Nリーグが閉幕し、タムが優勝。
12 修善寺合宿。
第8回Nリーグが閉幕し、律子が2度目の優勝を果たす。
2005 4 渋川・伊香保へ遠足。
金子が正式入団。
6 第9回Nリーグが閉幕し、綾子が優勝。
8 秋川でBBQ開催。
9 白田家に待望の第一子(野乃佳ちゃん)が誕生!
11 どんぐり倶楽部と交流戦。
12 第10回Nリーグが閉幕し、神谷大が優勝。
2006 1 中牟田家に待望の男の子(?)が誕生。